ようこそ

  • 長州藩の穢多が残した唄
    少岡ハ垣ノ内               山部は穢す皮張場           長吏の役ハ高佐郷           何そ非常の有時ハ           ひしぎ早縄腰道具            六尺二歩の棒構ひ           旅人強盗制道し             高佐郷中貫取              
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2009年11月10日 (火)

おかしな穢れ意識 ブー

Fonte11/1号(不登校新聞社発行)に民俗学者赤坂憲治さんのインタビュー記事が載っていた。
それによると、「われわれの社会が定住を原理にするようになったのは1万年前で、定住型社会になって、ゴミや排泄物の処理と人の墓地が大問題になり、ある一定のエリアに暮らすために生まれたのが、「穢れ」の意識と、村八分などの習俗レベルの厳しい法・掟」だそうである。

本を読まないものとして、普段は幸せで能天気でいられるけど、こんなインタビュー記事に触れると、頭から湯気が出る。

どうも、学者先生たちは人間はその必然としてその人間の一部を勝手に抑圧・差別のターゲットとして決め、道理のないいたぶりや憂さ晴らしをしなければ生存さえできなかった哀れなものと解釈しているらしい。
人間が定住者となった有史以来、全ての人間が他者に対して極めて理不尽な抑圧・差別を必然としてしか生きられない存在であると、赤坂さんは本気で思いこんでいるのだろうか。
そんなDNAが人類の歴史と伝統の核なら、何をか言わんやである。
ならば、逆説的人間観で語りつくすしかない。人間こそ差別・抑圧の元凶であり、自然の破壊者であり、人間そのものこそ、取り締まり、抑圧しなければ、生起する諸問題の解決はないと。

日本の歴史と社会のあり様が、田舎のいやらしさ、偏狭な均質性への執着、異なる者の排除・・・等々とまことしやかに分析する人が多いが、それはつい最近の傾向、そう、明治以来のことではないのか。
問題の分析をまともにすることができず、万年の差別・抑圧を語りたがるのはいかがなものか。

住井すえさんも言ったように、人も自然の法則で生きる。
ただ、それとたがう人為の誤りをただすことが求められているだけだと思うのだが。
部落差別をめぐる話をつなげて考えればなおさらである。
そう、部落差別に明治以前は無い。旧穢多は社会の衛手としてまっとうに生きてきただけである。

本当に発生している問題の分析はまともにすべきである。
いつまでも、いやらしいデマゴギーに身をゆだねるべきではない。

*案内―今月の解放学級は11月13日(金)、午後7時30分より川崎

             会館でします。準備不足の為、茶話会になりそうですが、

             皆さんの参加をお待ちしております。

2009年11月 5日 (木)

想像力の貧しさが、人の歩みに唾をする   ぶー

勝者・強者・冨者のおごり、
敗者・弱者・貧者のやつあたり。
人間のおろかさを意識することがなければ、あわれである。
学を究めるべきものが、極められず、敗北した時、そのフハイダラクは、故なく人の歩みにつばしてしまう。当人たちは、そのことにおそれを感じることはないのか。
誰しも人を侮辱したいとは思っていないはずだが、道理を踏みはずすと、たとえば、万年の賤民史観を何の疑いも無く(探究を放棄し、敗者と化し)、たわけた個人の生活感覚のみを前提として受け入れてしまったりすると、万年の暗黒社会史を語り始める。
いったいお前はどこに立って人の歩みを見つめているのか。
己の貧しさをおもいつつ、おもう。

2009年10月28日 (水)

人が群れて暮らすとは ブー

 今まであまり意識しなかったけれど、「部落差別」とは言い得て妙。
 独自の国民国家をめざした近代日本が、そのしかけの根幹であった「部落」をようやく過去のものにしつつある今日(一般的には部落呼称が消えている)。その「部落」から排斥されし者が、逆に本家取りして使用してきた結果、今やメジャーとして文字通り近代日本の生き証人としての立場を有するに至っている。ということに気がついた。

 今日の朝刊(毎日新聞)に、福岡賢正さんの社会学者見田宗介さんへのインタビュー記事が載っていた。内容は、「日本社会の定番=異質性への極端な排除=村社会のいやらしさ」という風景が崩れ始めているというもの。
 私は、以前から思ってきたことだが、このブログでも奈良吉田栄次郎さんの主張へのコメント時にも少し書いたことだが、「村社会のいやらしさ」が日本の共同体が持ってきた本来的な属性という、多くの日本人の認識を疑問視している。

 いつの時代でも人間、物質の充足より、精神の充足が主だったと思っている私としては、人が類、群れをなす行為でも例外ではなく、共同体づくりも、それに属すると精神は抑圧されるのが必然ならば、私はやっていけない。
 事実、紀州藩牢番頭日記に出てくる人々は約束事に縛られながらも、常に権力に対して異議申し立てを繰り返している。
 それが、人が群れて暮らすということであろうと思う。
その基本になるところが共同体=村の存在意義であったはずで、それが上からの尋常でない暴力によって機能不全に陥り、無残な敗北の姿をさらし、あまつさえ抑圧のいやらしさを醸し出す。いやだいやだの村社会ができたのは、もしかして実は近代日本の幕開けと期をいつにしているのではないかと妄想しているのだ、私は。
物言わぬ民、均質性にのみ気を配るそれ、何を恐れているのか日本の民は。それじゃ自他共々に抑圧的にしか生きられぬ。そんな近代日本の総括は、部落問題のまっとうな認知をもって叶えられるのではないかなどと、今私は思っている。

2009年10月24日 (土)

おかしな話 ブー

 部落と部落民。省略を得意とするのが人間の性かも知れないが、ことばはきっかいというものだ。
 それって何で誰のこと。と問うてみると、見えてくるものがある。
 西欧列強帝国主義国に伍しての国民国家をめざした日本の近代の歴史がそこには刻まれているなんて思いもしなかったが、いやはや、部落にこだわっていると見えてきた。
 そう、近代日本がめざした国民国家とは、国民全てを部落と部落民に組織することであったなんてね。
 もっと、部落解放の歩みは、近代日本社会の歴史証人として、言語もそしてその意味も明確にしてこそなんぼと思えてくる。
 なにせ、排斥されてきたものが本家取りをして、そのことば[部落と部落民]を使っているのであるから、そこのところは責任もって結着をつけたいと思う。

 蛙独言の田所蛙治さんが、よくブログで書かれていることで、ガテンがいかないことがある。
 その1つは部落をめぐる「自称と他称」という言い方についてである。
 又、別の表現として、「いわれのない差別」という差別の不当性である。
 私は思う。差別は何事も根拠のある「ちがい」をめぐる事柄であり、それを「解いて放ちて」が運動であろう。幸か不幸かその被差別の当事者となった者は、その手にした固有の「ちがい」に翻弄される。ここで、この「ちがい」の引き受け方は様々であろうが、まっとうに引き受けることができるなら、おのずと道は拓けてゆけるものと思う。
 ここでいう「ちがい」は差別全般につながるもので、何事においても、そのことで人間を侮辱するいわれなど正当化されるものなどありはしないのは言うまでもないが。
 私にとっては差別の入口での詮議にとどまる意味のない「自称と他称」に思えるのだがどうだろう。

2009年10月 3日 (土)

サンチョのアイヤ   フー

エンヤットットでアアイヤ
近々、周南市で岡林信康のコンサートがあるらしい。
彼は「エンヤトット」が好きらしい。そこで、サンチョは「アアイヤ」なるものをあみだした。

サンチョ、お仕事、超忙しくて、このところアイヤ踊りを朝に夕にしてござる。

沖縄民謡っぽく、「あ、いや、あ、いや、あ、いやいや~」と歌いながら右手を左肩にあて軽く足踏み。
じつはこれ、左肩を痛めてしまったらしいのでサンチョなりのリハビリだそうだ。
サンチョのリハビリ踊りにはもうひとつ、華麗な、バレー舞踊風「白鳥の湖」があるけれど、最近はもっぱら沖縄風。
「ふう」がおいらのトレードマークと常々のたまうサンチョ。
さすがに「沖縄風」。似て非なる歌と踊りではある。

「ただの50肩ではないか」と妻が言うと、「いんや、壊れた。もうだめだ。」と妻を不安がらせる。
不安がらせて面白がる。
その手は桑名の焼きはまぐり。

サンチョの妻の眼はひたすらチラシ「秋の味覚特集」にそそがれるのであった。

2009年9月 8日 (火)

サンチョ バタバタ フー

  今年はなんだか変だ。
 失業して仕方なく1人親方になったサンチョ。世間では不景気だとか、やっていけないとかいっているのに、超多忙。

 春さきは暇で暇で、今年はどうなることやらとサンチョの妻は胃の痛む思いだったのに、この秋はなんと、5件の仕事が同時進行中。

 「おいら、仕事遅いし、エコなのに。なんで、みなさん、おいらに仕事くれるの?」と不思議顔。

 サンチョのエコはエコノミーのエコ。
 なんせ、お客さまが「もっと値段の高い蛇口にして」というのに「これで十分でしょう。どうしてもって言うなら高いのにするけどー。」と、でかい態度。

 それに肉体派のサンチョ、図面引きを長時間していると、だんだん不機嫌になってくる。
 
 サンチョ操縦歴27年の妻は心得たもの。で、
 「うちにこられるお客様は、あなた、サンチョでなければいけないというお客様ばかりですよ。ここはひとつふんばるしかないでしょう。それに、図面引きが終わったら、サンチョの好きなトレーニングジムの鍛錬ができるではありませぬか。」
 *ガテン仕事をサンチョはトレーニングジムと呼ぶ。

 最近サンチョの妻は、故あって乗るだけで体内脂肪と筋肉量と身体年齢がわかる秤を買った。
 その秤で量ると56歳のサンチョの身体年齢はなんと31歳!とでた。

 「よ!サンチョ31歳。きょうもがんばるのよ。」との声掛けを忘れないサンチョの妻であった。

9月の解放学級

8月の解放学級では、個人のアイデンティティーは、組織のアイデンティティーに位置づけられて初めて認められるのであり、他者が決めるものではないという話がでました。というのも、先祖が穢多ではなく、被差別部落にまったく無関係な歴史を持ちながら、被差別部落に住んでいることで他人が部落民とみなすから、自分は部落民であると主張する人がでてきたからです。なぜ、そのように不可解な主張をする人が現れたのか。

 それは「部落とは何か、部落民とは何もの」かがずっと曖昧にされてきた結果ではないでしょうか。

穢多の非常民(警察職)としての歴史を明らかにすれば、穢多と穢多の在所は警察官と警察組織があったところとしてはっきり認識されるでしょう。そうなれば、部落差別にまとわりつく得体の無さは消える。そんな思いで、今月もしつこく、穢多のはなしです。

では、みなさんの参加をお待ちしています。

 

日時、場所は下記のとおりです。

    日時  911日(金)午後730分~1000

    場所   川崎会館 1階 実習室

    主催    ろく舎

    

 

ろく舎からの伝言

*吉田さんのブログは5年めにはいりました。アクセス件数は携帯電話からのアクセスも含め延150万件を超えました。みなさんも、ぜひ訪れてみてください。

goo,Google,yahooなどで「部落学序説 吉田向学」と検索してみてください。

 *ろく舎もブログ「ジゲ戦記」を展開中。

ろく舎通信 200998日発行

2009年8月30日 (日)

物語は ほんの途中 ブー

わからないことは増えている。ここは当分ぬけられそうもないが。

 穢多村に生を受け、小さいときから教育、訓練を受け、すねることが無ければ15歳をもって司法・警察の現場公務員とその予備員になっていく。

 小前は小前であって、世襲である頭にはなれない。

 前提が身分制社会。頭の家に生を受けるか、小前の家に生を受けるかで、その先は決して交差することはないように見られる。

 ただ、頭の家に生まれても、それだけで頭への将来が保証されている訳でもないが。

 頭は頭で、その権益=株の手持ち状況も含め、色々あったであろう。

(もちろん司法・警察の現場業務が担えなければならないのが大前提である。)

 紀州藩「城下町警察日記」に登場する穢多頭は株仲間制をとっている。

 解説の藤本清二郎さんの文章を参考にすると、これは、やはり、旧来の地元勢力と新たに登場した勢力の妥協の産物として生み出されたものと思われる。(新勢力の釘貫一族は6株、旧勢力の甚四郎一族は3株)

 釘貫と甚四郎は協力して任にあたっており、一体化して体制を維持してきたことは事実だが。(村内も6組に分け支配するが、これは混成チームのもようである。)

 釘貫家は必要に応じた業務内容の差別化を分家体制としてまとめ、一族をして頭仲間制を維持してきた。そして200有余年かけて、1800年代初めには頭仲間株を独占する。

 その記録たる業務日記には、頭の話だけでなく、頭たちを訴えた小前たちの出入の話もある。

2009年8月18日 (火)

'09.1.16吉田向学講演録 13

天を知る・・・

結論です。福岡さんが、井戸の、井の中の蛙大海を知らずされど天を知る。わたしはこう徳山藩という限られた中から、一緒に上を仰いで、もっと普遍的な物を目指そうと。天を知ることを心がけてきましたけれども、いままでお話ししたことを、5つの点にわたって要約しますと、こんなふうになります。

 近世幕藩体制下の司法・警察である穢多非人役は賤民ではありません。卑しい人という意味ではないという事です。今、部落史の研究はみな賤民ですから。研究者は賤民研究をしていますが。賤民ではありません。

司法・警察本体の一部です。司法警察。非常民。江戸時代は非常民、非常の民。非常民といいますが、司法警察官の本体の一部です。けっして警察の下役ではありません。本体です。

近世幕藩体制下の村においては、司法警察そのものになります。なぜかおわかりですね。武士、藩士というのは城下町にしかいない。城下町の外を出て、同じ藩でも城下町の外へでると脱藩ということになって、後でお仕置きを受けるのです。藩士を守るのが藩士の仕事ですから、城下町の外へ出られないのです。では、村々はだれが守るのかというと、村方役人です。庄屋、それと穢多になります。だから村落に行くと司法警察、権力の本体は穢多そのものになります。

それから4番目ですね。明治になり、近世幕藩体制下の司法警察である穢多非人役組織はご存じのように明治4年に解体されます。なぜならですね、なくなるのは江戸時代の制度をそっくり消し去ろうとしたからです。なぜしなければならなかったのか。法律だけは残すのです。制度も。しかし穢多は全部切り捨てるのです。なぜ切り捨てたのかというと、キリシタン弾圧の一切合財の制度を切り捨てました。もう日本はキリシタンを弾圧するような封建的な国ではなくて、西洋に並ぶ、欧米に並ぶ、近代的な国家の歩みを始めましたよ。だから、宗教警察を全部排除しましたよ。ということを対外的に宣言したのが、明治4年の解放令です。なかなか難しいのですが、なぜかというと、隠されているからです。

大久保利通は、イギリスの公使、大使とこのことについて交渉するのです。くれぐれも内密にしてほしい。極秘扱いにしてほしい。ところが、イギリスは何年か経つと情報を全部公開しますから。そのことが明らかになってきているのです。史料として読むこともできます。

結論です。現代まで続いている明治以降の部落差別はきわめて不合理な差別です。歴史の事実に反します。だから、1日も早く被差別部落のほんとの歴史を明らかにして、間違った差別は、撤廃すべきであると思います。そのために必要なのは、タブー視しないことです。ここに来た時に新南陽支部の支部長さんが、ありのまま知りたいから調べてほしいと言われました。だから被差別部落の側もそういう人がたくさんおられると思うのです。本当のことが知りたいという人が。わたしが調べた限りでは、被差別部落の人々が、みじめで哀れで気の毒だったという史料はひとつもありませんでした。

わたしはここの出身ではありませんので、差別者の牧師ですから。徳山藩の史料のこういう話をすると、教団の牧師たちは「それは山口だけの話だ。長州藩だけのはなしだ。」といいます。腹が立つから、毛利8カ国を調べて、やはり、共通しているというと、「それは毛利家だけに・・・」という。それで、腹が立つでしょう。街道を登るのです。長州藩から岡山へいって、兵庫へいって、大阪いって、和歌山までいっても同じだというと。それは、西日本だからだと。とうとう、北海道と沖縄までいきました。だって警察官ですから。警察官がいないような場所はないわけです。不法地帯はない。だから函館にも穢多がいたし、沖縄にもいた。ただ、穢多と言われたかどうかは別です。非常民が存在した。それら全てに共通したことを、ブログ「部落学序説」で書いている。

今まで被差別部落の人の歴史を、みじめで哀れで気の毒だと賤民史観で書いた学者を、名指しで、根拠を挙げて反論して批判しております。できれば、読んでみてください。

ただ、一つ一つ丁寧に、論証しております。わたしは昔からケンカが弱いのです。ですから、はじめから全ての手のうちを見せるような事はしません。全部出したら戦えないですから、次の2の手、3の手、4の手で闘います。それで、いつか、2の手、3の手のお話ができるかもしれません。

'09.1.16吉田向学講演録 12

死刑執行の特別手当

死刑執行した時に徳山藩から特別手当が支給されます。3人の藩士を死刑執行することによって、4両1歩が支給されます。牢番医が3歩2朱を取ります。棺桶代が3人分いりますから、それが3歩2朱。それで、屠者とありますが、その屠殺する者という、牢番で死刑に関与した人たちは8人いますが、8人に対して1両2分2朱。一人当たり3.5朱。先ほどの換算で行きますと、特別手当は約一か月分。死刑執行した人に対して出るのです。

質問しますが、現在日本の社会の中で、死刑を、反対にもかかわらずよく執行されますね。あの刑務官たち。死刑執行官になる刑務官たちに払われる特別手当の金額、ご存じですか。7万円。え?桁が違います。これを調べてみてください。驚きますよ。本一冊買えません。‐‐‐‐。いいえ、もっと少ない。千円台です。手当はつかないのですよ。

心に深い傷を負う屠者役の穢多

死刑執行すると、誰でも心に深い傷を負うでしょう。だって、自分に憎しみがあれば別ですが、憎しみが無い人ですよ。しかも自分が置かれた職務でそれを行うわけですから。たとえ職務で行って、法に基づいて行ったとしても、人を人が殺すということは、すごく深い傷を負うわけです。それは江戸時代の穢多であれ、現代の刑務官であれ同じですね。

屠殺

屠殺という言葉です。この屠殺という言葉を、今日、覚えていただければいいかなと思うのです。屠殺は、どういう意味かと言うと、屠を持って殺すという。屠とは何かというと、屠、これ尻へん、お尻から人が出てくる。これ、出産を指しているのです。これはわたしの説ではないですよ。言語学者の説です。

お尻から人が出る、で、出産を指す。女性が出産する時に、赤ちゃんが産道を通るわけですが、産道を通る時に母体の産道を傷つける。だから、新しい、母親が新しい命を生み出すたびに、自ら傷を負うことを屠というのです。これはちょっと詳しい漢字の辞書を調べられたら出てきます。屠というのは動物を殺すという意味ではなくて、母親が新しい命を生み出す時に、自ら傷を負う。

殺された5人の徳山藩士はですね、穢多の事を、屠じ、あるいは屠者といいます。その言い方は社会の秩序を守るために、死刑執行官が自ら心に傷を負いつつその職務を執行することです。心に傷を負わないと、遂行することができない職務。

穢多の祀る神

もう終わりに近づきましたが、穢多の祀る神様というのがあるのです。これは、東日本では白山神社。白山信仰と言われている。江戸の弾座衛門の屋敷の中に白山神社があって、東日本の穢多の住んでいる家には皆これがあるのです。

白山神社とは何の神様かと言うと、出産の神様です。それで、出産の神様が、女性の神様が、なぜ、穢多の神になるのかというのが昔からなぞだったのです。わからないのです。

それで、ご存じですか。江戸時代。穢多という言葉が使われた人たちが2つあります。ひとつは司法警察官をしていた人たち。もうひとつは女性。女性に対して穢多と言ったのです。なぜかわかりますか。多くを穢すから。女性は一家を支えるといろんなことがあるのです。男性は働きに出て帰ってくれば済みますが、女性は朝起きてから、炊事洗濯から、子育てから、ご主人の世話まで。ありとあらゆるものがあるわけです。だから、多くを穢すから、女性は穢多なりという表現が江戸時代に使われるのです。

女性の神と穢多の神が同じと言うのは、先ほどの屠ということが、どれも自ら傷を負いながら新しい命を生み出す、新しい社会を生み出す仕事をしている。

東日本ではその白山信仰がずっと広まっていきます。ところが、西日本にはないのです。なぜかといいますと、西日本では白山神社に代わって、そうゆう、穢多が職務を遂行する時の傷を癒したのが白山神社ではなくて浄土真宗だった。浄土真宗には世俗倫理というのがありまして、認めるのです。穢多役、非人役は世の中を守るために必要な仕事だから、たとえ、職務上人を殺害しても、仏の救いからは外れないと保証する。それで西日本では浄土真宗が穢多村の中に入って、勢力を拡大する。だから、ほとんどの穢多寺が浄土真宗ですね。

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