おかしな穢れ意識 ブー
Fonte11/1号(不登校新聞社発行)に民俗学者赤坂憲治さんのインタビュー記事が載っていた。
それによると、「われわれの社会が定住を原理にするようになったのは1万年前で、定住型社会になって、ゴミや排泄物の処理と人の墓地が大問題になり、ある一定のエリアに暮らすために生まれたのが、「穢れ」の意識と、村八分などの習俗レベルの厳しい法・掟」だそうである。
本を読まないものとして、普段は幸せで能天気でいられるけど、こんなインタビュー記事に触れると、頭から湯気が出る。
どうも、学者先生たちは人間はその必然としてその人間の一部を勝手に抑圧・差別のターゲットとして決め、道理のないいたぶりや憂さ晴らしをしなければ生存さえできなかった哀れなものと解釈しているらしい。
人間が定住者となった有史以来、全ての人間が他者に対して極めて理不尽な抑圧・差別を必然としてしか生きられない存在であると、赤坂さんは本気で思いこんでいるのだろうか。
そんなDNAが人類の歴史と伝統の核なら、何をか言わんやである。
ならば、逆説的人間観で語りつくすしかない。人間こそ差別・抑圧の元凶であり、自然の破壊者であり、人間そのものこそ、取り締まり、抑圧しなければ、生起する諸問題の解決はないと。
日本の歴史と社会のあり様が、田舎のいやらしさ、偏狭な均質性への執着、異なる者の排除・・・等々とまことしやかに分析する人が多いが、それはつい最近の傾向、そう、明治以来のことではないのか。
問題の分析をまともにすることができず、万年の差別・抑圧を語りたがるのはいかがなものか。
住井すえさんも言ったように、人も自然の法則で生きる。
ただ、それとたがう人為の誤りをただすことが求められているだけだと思うのだが。
部落差別をめぐる話をつなげて考えればなおさらである。
そう、部落差別に明治以前は無い。旧穢多は社会の衛手としてまっとうに生きてきただけである。
本当に発生している問題の分析はまともにすべきである。
いつまでも、いやらしいデマゴギーに身をゆだねるべきではない。
*案内―今月の解放学級は11月13日(金)、午後7時30分より川崎
会館でします。準備不足の為、茶話会になりそうですが、
皆さんの参加をお待ちしております。


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