民百姓という世界と、非常の時あらばそのテリトリーの防護に従事する民という世界は、どう重なり、どう重ならないのか。
朝日の田岡俊次さんが、常々話す、動(生)物の本能的反応である、己のテリトリーを死守する行為は、生活の安定した飼い猫でさえ持っているという。だから、愛郷、愛国などというものは本能的反応だから、それを鼓舞すれば、えてして偏狭な排外主義、排他性をあおる事になりやすく、かえって注意する必要がある。むしろ、自己愛は抑制的にしたほうが加減がよいと言う。
さて、テリトリーの防護を専門的に担う側の民の行動と、民百姓のテリトリー意識が、一体化しているときは、両者間の軋みは生じにくい。しかし、社会の激変や、支配権力・勢力側の恣意的な横暴が顕著になるとき、どちらかと言えば、自然法を背景とする民百姓のテリトリー意識は、激しく揺さぶられ、権力の末端としてのテリトリー防護を専門的に担う民との対立、衝突は生まれる。
福井県立大の本山美彦さんのブログ「消された伝統の復権」(2007、4、1)に沖縄は八重山、宮古島で1879(明治12)年4月に起きた、サンシー事件の事が記されていた。以下その要約。
日本の近代化の中で琉球を支配下に置く。その過程は、従来の琉球の人々の支配秩序を激変させる政策となってあらわれた。
琉球王朝解体、琉球藩の設置、その藩を廃止し沖縄県設置。
八重山は宮古島では、その役所(行政,警察)機構としてあった「在番仮屋」(ざいばんかいや)を廃止し、「沖縄県警部派出所」を設ける。
従来の代表を罷免し、その配下の頭(かしら)を明治政府が雇用する命を、首里から警官20名が訪れ告げる。しかし、頭たちは拒否。宮古島民は、結束し抵抗(結束を破る者は「所払い」の流刑とする取り決め)。しかし沖縄県はその政策を強行。1人の島民が取り決めを破って、通訳兼雑用人として県の官吏の側についた。島民は、その家族(両親、弟)を伊良部島に「所払い」、本人は警察署におり手出しできず。本人は、自分の悪口を言ったといって島民の1人を捕まえ暴行。これを見聞した島民1200人が警察へ押しかけ、本人を捕まえ、外へ引き出し殺害。
那覇の警察は48名を現地入りさせ、暴動の首謀者を捕らえる。その首謀者は仲間を売り、減刑。
本山さんはこの事件を、いまのイラクを彷彿させる事件であったと述べられている。
社会の激動のとき、警察関連の機構やそれに従事する人々は、その立場としてもその荒波にさらされる。法に従う番人の世界は、同時に時の権力意志にも大きな影響を受けるのは致し方ない宿命ともいえる。
うちの部落も、江戸時代は天保年間、長州藩の理不尽な政策に抗議した百姓一揆におそわれた。吉田向学「部落学序説」にも紹介されているが、長州藩天保一揆である。別に、青田伝説にまつわる一揆とされる。詳細を検討した吉田さんが、整理した事は、また見事だった。
「青田の頃皮革を積んだ牛馬が側を通るとその年は不作になる」という伝承があったという。(その伝承を腑分けして見せてくれた職人芸吉田向学の部落学の本も出版が待ちどうしい。)
さて、百姓一揆の想定される環境として、思い浮かべやすいことは、天候不順による凶作がある。収穫の乏しい秋の訪れは人々を途方にくれさせる。命をつなぐ糧さえままならぬ上に、課せられる年貢という苦悩がある。そんな想像しやすい話とはこの一揆まるで訳がちがうのだ。 この一揆のときは、天候不順はなく、逆に豊作が予想される年の出来事であるという。では何があったのか。
なんとなんと、豊作では米価が下落し、藩がもくろんだ財政上の収入がかなえられぬと踏んだ藩財政方と豪商たちは、天をも恐れぬ非常手段に打って出た。あろうことか、周防灘は三田尻、竜ヶ崎で、嵐(台風)を呼び込む祈とうの儀式(「生皮」を海に投げこむ)を強行したという。
台風を呼び込んでいいわけないでしょう。(まあ、いまの銭ゲバの尊ばれる新自由主義の社会じゃオーケイなのかもしれないが)
自然の摂理に従う百姓たちの怒りは、天候に左右されない枠内にある「皮」商いへの反発となり、爆発する。
地域の警察組織であり、かつ、役務の反対給付としての「皮」の権益を手にする穢多の在所は、藩内各地で襲撃された。
うちの部落も焼き打ちにあっている。しかし、一揆勢に対しての先祖たちの対応は、私的反発ではなく、「公」としての対応をしたと記録されている。(これはこれでいろいろ書いておかなければならない事があるが、またの機会に)
時代は移って明治の初め。
西日本を中心に各地で、旧穢多の在所は、百姓の襲撃を受けている。そこでは峻烈を極め、死者をも多く出している。
なぜ襲われたか。
反政府暴動は、その過程で、警察組織に携わる側とあらゆる意味で緊張感をもつ(往々にして、警察施設は襲われるが、それが暴動の目的でない事は常である。いまのイラクにおいても然り。)。ただ、国家によって、番人の役を解かれリストラされたばかりの穢多たちにとって、我とわが身と在所の行く末を思案するまもなく襲われた惨事であり、当時の先祖たち[もとえ、義理の先祖たち]にとっての苦悩を思う。
民。吉田向学言うところの「常民,」「非常民」の衝突。ある意味平和の時代が終わり、時代の大きな変化の中で両者の軋み、そして、その両者をも新たに侵略と多民族抑圧のための「非常民」化させられる近代の入り口での惨事。テリトリー意識。いろいろ考えさせられる事は多い。
ただこれが、下位の身分の者への襲撃という話ではない事だけはたしかだ。
*擬態はやめよ。義理の先祖を我が先祖というのはやめろ。少しは自分で打つようになったとはいえ、文章のまとまりがいまひとつ悪い。まっ、がんばっとるからおおめにみてやろう。あまーいサンチョの妻より。
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