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2007年5月30日 (水)

現場公務員の心意気 ウー

維新と差別のふるさとである山口県出身(実際は生活した事も何もないらしいのだが)の安部くんが言うところの憲法改正(実際はもちろん改悪!)であるが、どうやら国民投票法によると公務員はこの国の根幹に関わる憲法順守をしてはならないらしい・・・こんなおかしな話しはない!結局、公務員は法ではなく時の権力に従えという話になってしまうのだ。江戸時代の末端公務員であったエタの末裔のわたしは偶然現在の末端地方公務員(小学校教員)を成合にしている。わたしたちのご先祖様はいくら権力の末端にあったとしても、決して時の上級公務員であった上級武士に対しても怯むことなく過去から続くしきたり(法!)によって「こうなっている!」と常に主張していたのだ。250年間に渡って平和を維持してきたのは、まさにこの遵法精神であったに違いない。

この仕事について30年近くになろうとしている。その間、教員を取り巻く状況はすっかり変わってしまった。昨今の公務員バッシングの大きな流れの中にあることは間違いないのだが、全て「民」に任せれば「公」よりはるかにいい・・・本当にそうなのだろうか?「民間ではこんな甘い職場はありえない」確かにこの十数年で多くの大手企業は大量リストラを行い日本型の年功序列からアメリカ型の業績主義に大きくシフトしてきた。その厳しい競争主義のストレスの真っ直中にいる(大手企業だけではない、その影響下にある中小零細企業の従業員への圧迫は大手の生き残った従業員のそれをはるかに深刻であることは容易に想像できる)人々からは公務員は親方日の丸、リストラもない気楽なものだと捉えられがちなのかもしれない。確かに、一般企業に就職した友人たちの話を聞くたびに(自分は恵まれている)と感じた事はたくさんあった。(ただし、給与面では???であったが)労働運動をリードしてきた官公労も、その地位が担保されてきたからこそ出来た運動だったのだろう・・・最近の日教組や自治労の衰退は、そのまま公務員に対する社会的共感が全くない現状がその背景にある。教育基本法の改悪も教育三法も社会的に大きな批評が広がることもなく通過してしまった。「教員免許更新制」も「副校長や主幹を置いて教職員の身分に格差を付ける事」も「国家による各地教委に対する指導権の拡大」も実は保守勢力の狙う「教育の自由化」と整合性のない物もたくさんあるのに全く議論は盛り上がることはなかった・・・「民間なら当然のことだ!」の大合唱にかき消されてしまった。そんな世論(もちろん「郵政民営化問題」のように操作されたとも言えるのだが・・・)の流れを後押しにして一気に憲法改悪まで持って行ってしまおうというのだが、従来型の護憲運動が何の力にもなり得そうにないことだけは地方公務員に末端にいてもよく分かる。

改めて、私たちのご先祖様のエタの公としての仕事ぶりを思う。時の権力は変わろうとも法はこうなっていると社会の安寧のために仕事に忠実だった姿は、今わたしはどう生きるべきかについての示唆の様に思えてならない。「簡単に首にはならないんだから、言いたいことは言っていこう。命まで取られる訳じゃない」そう思ってここまで公務員の身分の中に安住してきたわたしであるのだが、残された10年間をどこまで迫り来る様々な攻撃をやり過ごしながら自分の仕事に忠実にエタ魂を全うできるかどうか。自分は後10年だからどうにでもなる、なんて誘惑もありはするのだが、何とか「民」では出来ない「公」の果たす仕事を全うしていきたい。

2007年5月27日 (日)

現場公務員の心意気 その2

 江戸時代までの日本の古の公というものに身を呈して携わった現場公務員-下級役人の歴史と精神を歪曲しつづけ、あまつさえ、さげすみ侮蔑したままで、いったい日本という国はどこへ向おうというのか。
 そんな官と民の(公)に対する歴史認識の水準で、日本の社会的倫理観を足元からまともに再生させる事などできるわけが無いではないか、とさえ思える。
 (私は「公」という概念は、人が人々になるとおのずと発生すると思ったりしているが)
 人はいくらでも勘違いして生きられる。実に多くの人がいろんな意味で勘違いして生きている事か。
 しかし、それに気づいた時から、少しはまともになる努力は必要だ。部落解放運動もしかりである。
 私のリストラと訳が違い、日本の近代化の中で法の番人として、治安と社会福祉の最前線で堅実な仕事を担いつづけた現場公務員そのものが故あって、組織ぐるみで理不尽にリストラされる。
 それまでの穢多の公に携わり、法に従う精神を、明治権力はぼろぼろにし、あまつさえ、賤民とレッテルをはり、さげすみの対象にした。
 その暴挙の50年があり、旧穢多の名誉回復組織たる水平社は生まれた。
 しかし、時代の暴挙は、歴史の真実を社会で共有する事を拒んだ。以来幾年月が経っているというのか。
 旧穢多の在所-部落は時代の中で多くの都市の貧しき民が住みついただろう。
 しかし、問題の本質は明らかであるにもかかわらず、穢多の名誉回復は対象とされず、逆に当事者の歴史を消し失った近代社会の弱者、被差別者としての姿で、(歴史としては、私たちに身近なあの紙芝居-腰みの一つの弱者として、)一方的な社会的救済の対象者の席に自他ともに偽装し、座し続けた。
 それは当事者の末裔でさえ、歴史と誇りを忘却させられる時間でもあった。そして、貧困、侮蔑からの現状改善を、人々を勘違いさせ、計ろうとすることにやっきになった。
 それしか道は無かったのかもしれない。しかし、しかしだ。戦後の同対審答申もその同和対策事業法と事業も、穢多の名誉回復を退け、事の本質にまた触れることはなかった。したがって、個人対象事業において、またこちらではくだらない行政の打算で地区指定にまで、自己申告すればそれが対象たりえた。(このことは改めて述べる)
 対象のあいまい性を持ちつづけ、前提にエセをはらむ行政施策を積み重ねてきたのである。
 それは、こころある当事者の苦悩を深める事はあっても、部落差別の解消に手ごたえを与える事などありえようが無い。
 話は、今話題の5,000万件書類消失年金問題がある。官が官たりえないだけでなく。公たりえない事実が明らかとなった昨今の日本である。
 聞くところによると、この政府側の場当たり的処方箋は、対象者不明という最悪の事態に平然としているという。
 また同和対策みたいにやればいいじゃん。自己申告する人に対策とれば済むじゃん。今まで厚生省時代経験済みだし。
 
 ばかやろう。

 日本と日本人は、貧しさを忘れ、精神は奴隷である。こんな官に誰がした。こんな公でどうしていく気だ。
 自分の姿を水面にうつし、見つめ直し、身の丈に応じて、地べたに足をつけた生き方に回帰する気のある人はいないのだろうか。

 穢多を思う。義理の先祖の穢多を思う。

現場公務員の心意気

 紀州藩牢番頭日記に見る現場公務員の心意気
 朝日の田岡さんが今日のパックインジャーナルでも話していた。「江戸時代の幕藩権力は薩長倒幕派の志士たちがおどろくほど帳簿記録がたしかであったという。だから日本のお上、官というものは、海外でも高い評価を受けてきた。今回の5000万件を越える年金書類の紛失の発覚はその官の信用失墜にとどまらず、日本そのものの信用を落とした事態ではないかと。」
 そう紀州藩警察日記は、紛れもなくその江戸時代の現場公務員=下級役人の奮闘記録である。法に基づき公に付託された業務を現場で責任を持って担う。その記録は確実に残し、後世の範とする。これが、〈よらしむべし、知らしむべからず〉江戸幕藩権力の公務の現場である。そこに書かれていることのわかりやすい特徴は次の点だ。
 決して、上司に対して黙して従順ではないことである。現場を責任もって勤めるからこそ、言うべき事は常に言うのだ。様々な異議申し立てをする穢多に対して、大概は上司側がその言い分をうけ入れる。出先での帯刀などは主張が通らず、逮捕されたりもするが説明をし言い分を通し認めさせる。読んでいて、だから備前藩幕末の現場警察官の異議申し立ていわゆる渋染め一揆はあったのだとの思いを強くする。如何に日本の近代、現代の公務員が軽視し、なくしてきたものがその世界にあるか、大いに学び直すべきである。特に現場公務員は、穢多が残した貴重なこの記録をそれこそ範とすべきである。
 
 官が腐敗する。権力が腐る。公をその陥りやすい道に踏み込ませない方策はあるのか。人が社会を成り立たせてからこのかた洋の東西を問わず悩ませつづけた問題は、日本においては江戸時代わりとうまく行っていたのではないかと今思っている。歴史に無知が幸いして、この警察日記を読む限り、悪代官や越後屋ややくざがのさばる余地があるとも思えないのだ。あれってもしかして、穢多がリストラされた近代社会=明治〈クーデター〉権力下の真実を設定をわざと変えた抵抗演劇だったりして。
 吉田向学「部落学序説」から、明治江藤新平の正義が敗れたのだと教えられた。それで長州閥が生き延び、日本社会が持ってきた法秩序が失われたのか。日本の欧米化は、西洋が西洋なりに苦労した知恵とも言える権力の秘密文書の後世での公開という担保を、自らに課すことなく突き進んだのではないのか。つまり官、権力を自律させる枷を持たない公たりえない支配権力ができたのだと私は思う。これじゃ私が冗談でよく言う〈他人に厳しく、自分にやさしい〉心根であり、それは私のやんごとなき性の話であって、決して公たりえない精神である。これが公なら擬獄腐敗は構造化する。「越後屋おまえも悪じゃのう、お代官様こそ、ちなみに全ては裏のほうで済ましときやした。」日本のいにしえが好きな方々は怪しい明治近代が好きなのかねえ、あっしにはそこのところがまったくわかりません。富国強兵、私利私欲。江戸は近代民主主義社会じゃないけれど、それにどんな支配権力学=帝王学があったのかも知らないが、紀州の穢多はたいした者である。

2007年5月24日 (木)

堂々の予告編 一度言ってみたかった

欠作、芝居がわかったぞ!かな?

前言は常にひるがえる。波のまにまに消えゆく。して、浮かび上がる本題は

かけさく、しばい考。乞うご期待。ブー。

2007年5月21日 (月)

サンチョ観察日記 5/21

 今朝のサンチョは出がけにこう申しつける
 「城下町警察日記を読むように。」
 「わかりました。御領主様。」
 「その、実態を反映せぬ呼び方はやめなさい。」
 「これは、女のしたたかさを表すもので、ほーほほほ。」

 穴ほり名人のサンチョはこのところネコ車を友に猫の監督のもと穴ほりに精をだしている。
 街での仕事が無いときは工場の敷地で穴掘り。セメントガラで歯がたたない土壌も難なく掘り進めるので若い衆から「自衛隊におっちゃんたんですか。」と訊かれたという。
 最近の工事現場では機械で掘ることが多く、皆手掘りがキツイらしい。「おいらと同等に掘れるのは中国人の二人組みだけよ。」と名人を自認するサンチョはいばってござる。工場内の掘り方は埋まっているものを確認しながら掘らなければならないので、機械は使えないという。で、サンチョは重宝がられる。でも、サンチョは猫の監督のもとネコを友に街場で自由に働くのが好き。今、工場は中国特需で設備投資、猫の手も借りたい忙しさ。ずーと来てくれと呼ばれるが、やっぱり猫が好き。

 穴掘りの合間、サンチョは「水の勉強」に花の都東京に行ってきた。「橋の上から下を見ると河川敷にホームレスの人たちがいたけれど、これが江戸だったら穢多役や非人役が確実に保護するのになあ。行き倒れは江戸時代にもあるけれど、ほってはおかれないよな。」と一人ごちておりました。

 今朝の新聞で思わぬところに穢れを発見。
 立てこもり発砲男は穢れを異常に気にして、邪がはいると言ってはうがいをしていたという。邪や穢れはおまえ自身だろう。思わずうちの口からでた言葉。
 それを聞いたサンチョ「おいらは仕事に行くから、あんた、それをブログに書きんさい。」
 「はい、御領主様。」

2007年5月 6日 (日)

城下町警察日記を読む 5/6

享保20年閏3月(1735年) 南さいか町で、奉行所の与力(穢多の上司)もかんで町をあげての芝居をやる段取りになった。
 今回の芝居の特徴は町屋に囲まれた初めての場所で行われることで、この芝居の勧進元から事前の打ち合わせがありやした。
 勧進元衆が言うには「芝居十歩壱の義は相違なくあい渡し申すべき候。ただし、木戸入札並びに垣廻り人足賃はあい渡し申すことなり申さず候。」ときましたですよ。
 経費節減の折柄、奉行所の与力様まで引っ張り出して、しかも場所が町屋に囲まれた場所であることを口実に、通例であった芝居の警護費用は無しでやらせていただきやす。ときた。
 勧進元衆が言うには「この芝居には垣と申すところは少しも無きの候。三方四方とも壁つきにて候えば、垣廻り人足は無用に仕るべき」
 そう言われた穢多は、昔からのしきたりを説明したけれども勧進元は説得には応じず、さらに「この芝居はお役所の許可を得てやってるのだし、あんたらにとやかく言われる筋合いはない。言いたいことがあるなら、役所に行って言いなさい。」とまで強い態度である。
 そこで穢多はこの危機をどう乗り切ったか。
 「いくら経費節減とはいえ、必要なものは必要なんですよ。」と言い。さっそく奉行所に出向き「芝居に我らが必要ないと言われれば、わたしたちの仕事はなりたちやせん。」と異議申し立てをする。
 「この芝居には垣と申すところが少しもないから、垣廻り人足はいりません。」と言われた穢多の反論がふるっている。
 「垣廻りというのは、わたしたち下役の総称のことですよ。垣があろうと無かろうとかまいません。芝居があれば、毎朝早くから夜遅くまで、皆さんの安全と警護のために、体を張って勤めているのであります。そこで、犯罪が発生すればただちに対応するのがわたしたちの勤めであります。そのようなわたしたちが無用とは我らの仕事を侮辱され、迷惑しごくでございます。ここは古法のとおりにしていただきたい。」と願いでた。
 それで、3月5日付けの回答書が「その方ども、しきたりのとおりで」とでた。
 この時、あくる日から興行が始まり、穢多はお金の他に入場券を毎日15枚受け取った。そのうえ、奉行所の上司が勧進元にかけあって穢多の休憩所まで作らせた。これって、倍返し?
 この本の中で博打打ちのはなしは所々出てくるが、興行や商売をめぐってのやくざが絡んだはなしが出てこない。やくざのつけこむ隙がないように思える。
 こうゆうのは明治以降、興行が役所から離れた段階でやくざに受け継がれたのかなあ。

次回は大捕り物の段かな?

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