現場公務員の心意気 ウー
維新と差別のふるさとである山口県出身(実際は生活した事も何もないらしいのだが)の安部くんが言うところの憲法改正(実際はもちろん改悪!)であるが、どうやら国民投票法によると公務員はこの国の根幹に関わる憲法順守をしてはならないらしい・・・こんなおかしな話しはない!結局、公務員は法ではなく時の権力に従えという話になってしまうのだ。江戸時代の末端公務員であったエタの末裔のわたしは偶然現在の末端地方公務員(小学校教員)を成合にしている。わたしたちのご先祖様はいくら権力の末端にあったとしても、決して時の上級公務員であった上級武士に対しても怯むことなく過去から続くしきたり(法!)によって「こうなっている!」と常に主張していたのだ。250年間に渡って平和を維持してきたのは、まさにこの遵法精神であったに違いない。
この仕事について30年近くになろうとしている。その間、教員を取り巻く状況はすっかり変わってしまった。昨今の公務員バッシングの大きな流れの中にあることは間違いないのだが、全て「民」に任せれば「公」よりはるかにいい・・・本当にそうなのだろうか?「民間ではこんな甘い職場はありえない」確かにこの十数年で多くの大手企業は大量リストラを行い日本型の年功序列からアメリカ型の業績主義に大きくシフトしてきた。その厳しい競争主義のストレスの真っ直中にいる(大手企業だけではない、その影響下にある中小零細企業の従業員への圧迫は大手の生き残った従業員のそれをはるかに深刻であることは容易に想像できる)人々からは公務員は親方日の丸、リストラもない気楽なものだと捉えられがちなのかもしれない。確かに、一般企業に就職した友人たちの話を聞くたびに(自分は恵まれている)と感じた事はたくさんあった。(ただし、給与面では???であったが)労働運動をリードしてきた官公労も、その地位が担保されてきたからこそ出来た運動だったのだろう・・・最近の日教組や自治労の衰退は、そのまま公務員に対する社会的共感が全くない現状がその背景にある。教育基本法の改悪も教育三法も社会的に大きな批評が広がることもなく通過してしまった。「教員免許更新制」も「副校長や主幹を置いて教職員の身分に格差を付ける事」も「国家による各地教委に対する指導権の拡大」も実は保守勢力の狙う「教育の自由化」と整合性のない物もたくさんあるのに全く議論は盛り上がることはなかった・・・「民間なら当然のことだ!」の大合唱にかき消されてしまった。そんな世論(もちろん「郵政民営化問題」のように操作されたとも言えるのだが・・・)の流れを後押しにして一気に憲法改悪まで持って行ってしまおうというのだが、従来型の護憲運動が何の力にもなり得そうにないことだけは地方公務員に末端にいてもよく分かる。
改めて、私たちのご先祖様のエタの公としての仕事ぶりを思う。時の権力は変わろうとも法はこうなっていると社会の安寧のために仕事に忠実だった姿は、今わたしはどう生きるべきかについての示唆の様に思えてならない。「簡単に首にはならないんだから、言いたいことは言っていこう。命まで取られる訳じゃない」そう思ってここまで公務員の身分の中に安住してきたわたしであるのだが、残された10年間をどこまで迫り来る様々な攻撃をやり過ごしながら自分の仕事に忠実にエタ魂を全うできるかどうか。自分は後10年だからどうにでもなる、なんて誘惑もありはするのだが、何とか「民」では出来ない「公」の果たす仕事を全うしていきたい。
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