「なら解放新聞」が送られてきた。改めて吉田栄次郎さんの話を目にする。長い間つんどく状態の「部落史における東西」を読み始めた。そこでわきあがる疑問。旦那って何?
草、芝、などいずれも場を示すことばだが、その中で一つ例外的に,後の時代の人に誤解されやすいことばとして、人を表現したかに見えることばに、旦那がある。旦那と草,芝とはどう違うというのか。
草,芝,などはそれ自体植物で野にある。そこからくることか、官ではなく民である事をさしているように思える。忍者が百姓にまぎれることを草になるといい、今でも在野、野に下るとかいう表現もある。
そして、それは官が管理対象とするものであり、それを面として了解するものとしての「場」がつけば,文字通り「管区」となりそれぞれによって様々な「管区」が出来上がり,官の許認可の対象とその区域を表す歴史的言語であろう。その草,芝と旦那はどう違うというのだろう。
*無学な者の独り言 (草場,芝はどう音読していたか?しまなのか、くさば、しばなのか。歴史が下ると官の言語が裏社会言語になり、やくざな世界に移ってなわばり、しまが、一般化したのかとも思える。)
超管理社会としての近世日本の「公」の社会でその現場をもった人々、つまり、官の許認可の担当者にとってみれば、草も芝も旦那も同じ意味ではないのか。草、芝といったとて、対象はそこにいる人のことだからである。だから、あえてそのことばの中に人格性を意識する事など無いであろう。
はっきりしていることは、「公」の社会の衛手である現場公務員にとって、その管区の人々との関係は支持される事はうれしいが、管区にいる私人、その私人の全体とも主従関係の契約など行っているわけでない事は公、私、法を考えればおのずと納得できる事柄であろう。村がかえの番人として赴任する穢多にとっても、村権力の下僕となることを意味しているのではなく、法の番人として現場に赴くことを意味している。
したがって、管区の私人に個人的に嫌われようが関係なく法的行動をきちんととる事が、「公」に従う現場公務員の仕事であろう。ただそれだけである。それが「公」の基本、基準であろう。
穢多は正にその法の番人としての現場公務員であり,社会秩序の維持をはかった。多岐にわたるその内容は、医療行為も含め、貧困におちいった人々への公的救済の現場も担っている。
紀州藩牢番頭日記の物語りをまじめに読めばそうなる。
その現場公務員への給付内容として各地それぞれ様々な特権,権益が維持されていると理解すれば何のことは無い。
祭り、興行や私人の冠婚葬祭も含め、様々な行事での場賃も、警備費用も含め、主催者が公の番人に支払う制度が成立していたと思える。更に乞食-勧進にも許認可つきで社会的互助救済制度ともいえる超管理社会で、人の把握はとことん行われている。
所在がはっきりすれば、行倒れ者や犯罪者に対してもその出身地(丁)に保護、拘置時の費用一切を請求し運営している。請求先がなくて保護された人のみ用意された公費があてられる。公のまかないも徹底したものである。したがって、その現場公務員に対し、人々がいちいち、ケガレだなんだって言ってしのごの言う世界は存在しようがない。といった所が奈良のお隣、紀州では江戸時代成立していた。それもこれも、吉田向学「部落学序説」の語るところが実在している。
雑感-地球生物のうち、人のみが弱肉強食の論理で生きていける自由をもっている。ま、いえば、江戸時代の日本人はその人間の自由をコントロールした社会ってところかと思える。「公」というキーワードの下に。
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