怪談 フー
三遊亭円朝原作の怪談ばなしが、暑気払いで映画化されたらしい。
人は怖いはなしがけっこう好きなのだろう。
わたしは常々、日本人にとっての自分の存在は幽霊であると思っている。わたしは確かに存在するのに、日本人の多くにはその姿が見えたり見えなかったりするのだ。「わたしはここよ。ここにいるのよ。」とたまに自己主張すると、怖がられたり、恐れられたり、遠ざけられたりすることがままあり、すんなり受け入れられることなど皆無であった。
それが、解放運動の中では自己主張こそが、いわゆる部落民宣言こそが運動の入り口であるとアジられ、「そうだ、わたしは人間になるのだ。」とばかりに地元で派手に宣言した。
おかげで、なんだか気持ちがすっきりし、面白い人たちにたくさん出会い、ついでに善き伴侶と子どもまで授かった。
ここまでは、よかった。
では、それでわたしは幽霊ではなくなったのか。なんのことはない、わたしは自分で自分のことを「人間」と認識しただけのことであった。そして、わたしを「人間」扱いする人たちとつきあっただけのことで、それから20年以上たっても、日本人社会でわたしの存在が相変わらず幽霊であることには違いがない。
『水平社宣言』という優れて詩的なアジテーションには、「エタを誇る時がきたのだ。」というフレーズがある。しかし、解放運動のなかでエタを誇る時など今までもなかったし、このままでは未来永劫その時はこないと思っている。
エタの実相を矮小し、賎民という言葉で全てを語ろうとする運動では、先祖は浮かばれない。それに加えて、自らを律することなく、不祥事をくり返す、自他を欺く運動で、いいのか。
幽霊を見て、悲鳴をあげ、沈黙する日本人。確かに怪談ばなしはこわい、こわい。
*未来永劫---これはカート・ヴォネガットの本にあった言葉で、[女性が持つ永劫の隷属への憎悪]というのから頭に浮かんだ言葉。
最近、なにかと夫に向って毒づく時、使わせてもらっている。
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