誰が誰を「賤」として差別したのか ブー
部落差別の社会化とでも言うべき現象はとても新しい近現代での出来事である。
私、どんどん時間の観念が大ぐくりになって明治以降は100年チョイしか経っていない最近のことであると思えたりする。
従って勝負は「千年の愉楽?」ではない。<人のさが?としての有史以来の差別、抑圧のこと>ではない。
吉田向学が提示した「貴賤」をめぐる前近代の理解はなるほどとうなずける。即ち、絶対概念ではなく、あくまでも相対概念だと。身分制社会の上下を相対して表現する以外の何物でもないと。ふむ、ふむ、大した見解ではないか、説得力がある。
紀州藩牢番日記の世界は本当にそれを物語っている。京都ごときの「千年の云々」の世界で中世史の行刑の練り歩き犬神人の絵巻物などが紹介されるが、紀州和歌山城下においての江戸時代の行刑、市中引き回しの段などの紹介は、胴に入ったもので、そこに当事者の泣き言は無い。
読む者はそのことに謙虚にならんでどうすると思う。
例えば、差別戒名が刻まれたとする「差別墓石」である。
いったい、今に生きる日本社会の人々で、どれくらいの人が自らに連なる江戸時代までの先祖の墓石を保守しているのであろうか。
千の風にのらなくても、専念の先祖の墓石など、いやいや数百年の先祖の墓石など、ほんの限られた人のものでしかないのではなかろうか。墓石を保持するは、それなりのステータスで、貧を生活の基とする私にとっては無用のステータスである。(元石屋の娘婿が何を言うかとの声を無視して言う。)
それが江戸時代までの墓石のことのあれこれを真剣にのたまう。そこの差別、被差別って、いったい、どういうレベルのどんな話なのか。
本当に千の風にのらなくとも、墓石は野づらの印の石で充分としたであろう多くの貧しき人々の生き死は存在したのではないか。
無知は本当に強い。学のある人は大変だろうがよろしく。
正しい認識を大衆の手にする為に。
*(質素と貧)
破壊的貧しさの中でモジリアニは絵を描いた。その絵は彼を潤すことなく、その名のみと画商を潤した。
毎日『ジゲ戦記』にアクセスしています。
新しい書き込みがないと妙に淋しいですね。この淋しさ、いつまで続くやら・・・。
『戦記』は、平和なときに回顧しながら書かれたものより、戦時の真っ只中で書かれたももの方が迫力がありますよね・・・。
投稿 吉田向学 | 2007年10月15日 (月) 21時45分