母が倒れた ブー
広島の田舎の母が倒れた。満94歳の誕生日を1月あまり前にして。この夏の暑さの中で、右脳全域に及ぶ梗塞によって。
親不孝を地で行き、その母に「子どもには裏切られるもの」と嘆かせた私の青春期、以降30年がたった。
体はすっかり小さくなって、刻まれたしわやしみが90年余りの歳月をあらわす。夢かうつつかことばを発すること無くよく眠る。病院の集中治療室のベッドにいる彼女の手や足に触れる。声をかけると、眠りのまにまに覚醒し、うなずき、また眠りの中に、生物の生命力はたいしたものである。年齢を重ねても、司令塔半分を破損するという体内の危機にたいして、人工栄養を注入されながらなお、その生命の基幹を保とうと奮闘しているように見える。今後どう経過するか、予断を許さない時である。
人が生き死ぬる。その積み重ねの中に我もある。
この夏の暑さ。妙なもので、私に与えられた休みを経過していたが、あなたにうってつけの穴掘り仕事があるって声をかけられ、望まれるならと盆明けから岩国の急傾斜面での竹株撤去作業に2~3日、9月に入ると地もとの工場で地中埋設ケーブル関連試掘に1週間、私、ほぼ55歳、お手当てをいただいての日中炎天下1日8時間のトレーニングジム通いの風。幅2m深度1.5mH当初予定100立方メートル超の完全手掘り作業の1員となる。
この作業、肉体の限界へのチャレンジの用員は、ほとんどが棺おけに片足を突っ込んでおる風の高年齢者の集まり、これはやばいと直感。ここは私がやるっきゃないと俄然燃えての土堀り、自らは自然と土との交流でエネルギーをもらい、トランス状態。自作の即興の労働歌も出て、無事、安全を第一とする工場で、人間の生命の危機を体感する労働をクリアした。
トレーニングジム通い後の感想は、まだ私も現役でいけると思った次第。
そして、ベーシックな町屋での水道屋さんに戻っての仕事についた矢先の報であった。母倒れる。
我々は常に問われる
現世の言葉で、「医者に任せるしかない」などの良識を持った、無責任の嵐に!
でも、ICUで、最後ですからと、医者の言葉に納得させられるのでなく、
口を使えぬ、母の目を見て、話すことは、出来るではないか。
いまだ、浅はかな、息子、娘に語りかける母の偉大さ。
さてどうする、迷わず。
キーを忘れず。
投稿 匿名 | 2007年9月17日 (月) 23時20分