レッテル フー
長男が今月結婚するので、昨年、わたしは彼の妻となる人のためにウェディングドレスを縫った。
その時、図書館でドレスの作り方が書かれた本を数冊借りたところ、その中の一冊に次のようなメモをみつけた。
母は私達の所に居る。中に居る。
母は私達の心のささいになてる。
差別の前 (この前の字は上から消そうとした跡がある)
私は動揺した。ああ、ここにも心ないレッテルに苦しむ人がいる。文章や字の様子から、書いた人はわたしと同年代か、もう少し上の女性であると推察した。なんらかの差別を受ける立場の人であろう。
日本の被差別部落のレッテルは、江戸時代の穢多や非人に由来している。多くの被差別部落は江戸時代の穢多や非人が居た所であり、その末裔が住んでもいる。もちろん、明治以降流れこんできた百姓や町人の末裔もいる。ひょっとすると、今では穢多の末裔など一人もいない被差別部落もあるかも知れない。そして、明治以降に新たに作られた被差別部落もある。
わたしの住んでいる市では、行政が住民に相談なく勝手に被差別部落の地区指定をした部落も存在する。そこの住民は穢多とはなんの関わりもなく、その場所は江戸時代の穢多の在所などでもない。
明治以降作られた被差別部落であっても、部落差別は「穢多・非人」ということば無しでは成立しない。
その名によって、えてかってなレッテルをはられるのが部落差別だ。とわたしは理解している。
人からレッテルをはられたからといって、拗ねていないで、自分ではりなおせばいい。それが解放運動ではないかと思ってきた。
だから、吉田さんから聞いた、山口県北に住む、組織とか解放運動などとはまったく縁のない老夫婦が、差別に抗う方法として「穢多の歴史」を大切にして子や孫に伝えようとするのは、たとえ、それがごく限られた個人の行為だとしても、彼らの解放運動だと、わたしは思った。
穢多の何たるかを知らずして、穢多の名で差別を受けるのは理不尽ではないか。この理不尽に対抗するには歴史を取り戻す必要がある。権力が作った歴史ではなく、陳腐な賤民史でもなく、歴史的に担った役務の内容を知るべきだ。そして、その歴史がいかに捏造され、隠され、穢多自らが捨ててきたか、その過程をたどって初めて、自分の納得のいくレッテルのはりなおしができるのではないか。
どんなマイノリティーも差別に抗うためのアイデンティティーをもっている。部落差別を受けるものがアイデンティティーをもち難いのは、部落の歴史も知らず、部落とはなにかも知らず、誰が部落民なのかも知らないからだ。まったく、どこの世界に差別される由縁もわからずのほほんと生きているマイノリティーがいると言うのだろう。
歴史をないがしろにするから、腐った運動が跋扈するのだ。
反発こそが私のバネである。えてかってなレッテルは、返上するしかない。
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