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2008年3月29日 (土)

ロバのはなし フー

 差別のことを考えるとき、よく思い出すはなしに「ロバの罪」という寓話がある。これも「部落学序説」を書いている吉田向学さんに教えてもらったものだけれど紹介したい。

   ロバの罪
 ライオンとヒョウとハイエナとロバが集まって食糧不足をこぼしていました。ひとりが水不足が原因だろうといい、またひとりはだれかがよからぬことをしたせいで日でりがつづいているのだといいます。結局のところ、おたがいに罪を告白しあおう、そしてそれが罪だとみとめられるものなら、罰をあたえようということになりました。
 ライオンは村で子牛をとらえてたべたのがわたしの罪だと告白しました。
 ヒョウはまいごのヤギを殺してたべたといい、ハイエナはトリ小屋からニワトリを盗んでたべたとざんげしました。三人は、おたがいのするどい爪や牙をみやって「いいや、それは罪にならぬ」と首をふりました。
 「わたしはご主人のおともをしていたとき、ご主人が立ち話をしているあいだに、道ばたの草をすこしたべたきりで・・・」
 ロバがこういうと、残り三人組は顔をみあわせ、きびしい口調でいったのです。
 「罪だ、おそろしい罪だ。わざわいの根は、おまえだったのだ。」
 三人はロバにとびかかり、たべてしまいました。

世界の民話シリーズ 動物の国の民話(チェコ・スロバキア)より

 山口県の同和教育読本には、動物をつかって「よきこと」の勧めを主眼にした子どもむけのおはなしがたくさんある。けれど、どれも、権力には無批判で、同情と理想ばかりを押し付ける内容でうんざりする。ま、これはこれで、偽善を教えるにはとてもよい教材だと思ってきた。しかし、差別問題に限らず、ものごとを深く考えさせるにはこの「ロバの罪」が一番だと思う。
 多民族国家の中で生み出された民話だけのことはある。感心してしまう。
 
 

2008年3月19日 (水)

やさしい警察官  ブー

止まってはいけません。歩きなさい。歩き続けなさい。

止まってはいけません。歩きなさい。歩き続けなさい。

ここで止まると集会とみなします。

集会の届け出はでていません。

無届け集会とみなし、逮捕します。

止まってはいけません。歩きなさい。歩き続けなさい。

ここで止まると集会とみなします。

やさしい警察官の忠告でした。

今では妻に言われます。

その妻も止まってばかりいます。

なまけもののブルース

2008年3月 4日 (火)

百の嘘とひとつの真実   フー

部落解放運動の堕落と混乱は、水平社の時代からあったということは自明のことである。
水平社は百の嘘を含み、ただひとつの真実で人が集まっていたのだと、今日わかった。
幾百の嘘があろうと、ただひとつの真実があれば人を惹きつけるのだと。
3月3日、水平社創立大会の歔欷の声こそがただひとつの真実である。
その熱に私は惹かれるのだ。

歔欷(きょき)-すすり泣く、むせび泣くこと。
百の嘘とひとつの真実-インドのIT企業の社長が「インドには貧しい人に分け与える富そのものが無いのに気づいて会社をつくったのだ」との発言について、サンチョが言ったことばである。それを私がいただきました。グラッチェ、サンチョ。

2008年3月 1日 (土)

サンチョ観察日記 '08.3.1

 このところ、サンチョは料理修行をしておる。
 つきあいのながーい友人から、グループホームの宿直を週に一度、して欲しいと頼まれたのだ。
宿直は4人分の夕食と朝食をつくらなければならないらしい。サンチョは新婚当初は男も家事をしなくてはと、けっこう手伝っていたけれど、いつのまにやら、外の仕事は男、家の中の仕事は女という役割分担に慣れ親しみ、母を手伝う4人もの子どもがいたこともあり、皿洗いすらしないずばら男に成り果てておった。
 にわかに料理を教えろというものだから、しぶしぶ教えることにしたはいいが、サンチョはうるさい。
 まず、おおちゃくにも、献立は考えない。買い物もしない。内儀がすべて準備した材料で料理だけしようという虫のよさ。それも、いちいち訊いてくる。そのうえ、冷蔵庫の中を見ながら「袋を開けたまま賞味期限の切れたハムがあるぞ。」とか、「ネギがしなびてるぞ。」とか鬼の首を取ったが如くの物言い。
 だから、女はつらいと言うんだ。男は黙って料理しろ。と小さな声で毒づく。サンチョの内儀であった。

よい子 わるい子  フー

 「ラジオで、昔、地下に住んでいた青年の名を聞いた。」と夫が言う。
 それは、コンビニの金を盗もうとして盗めず捕まったという、なんともおそまつな事件の犯人の名だった。
 その青年は子どもの頃、親がうちの部落に中古の家を買って町から引っ越してきた。引っ越してすぐ親戚をよんで家の披露をしようとしたが、親戚がこなかった。とか、商売で商品を売り込みに行き住所を言うと断られたとか、わたしは部落の出ではないのに差別されたと、その青年のかあちゃんが嘆いていた。
 金もうけにあせった親がマルチ商法にひっかかり、一家離散のような形でその青年と家族は地下を出た。しばらく消息がわからなかったが、20代になってから折に触れ地下の友達を訪ねてきていた。
 
 「あの子は本当はええ子なんよ。親が悪いんよ。それはようわかるけど困ったもんじゃ。しょっちゅう部落に遊びにくる。ほんと、わるい子ばかり、部落に帰ってくる。ええ子は帰ってこん。」と、その青年のうわさ話を大きな声でおばがする。

 ほんとにわるい子ばかりが帰ってくるのか、統計などないが、おばの気持ちの中にある卑屈さがそれを言わせているのだ。
 ほんとによい子は帰らないのか、おばの地下から出たいという願望がそれを言わせる。

 社会の抑圧にさらされると人間はゆがむ。ほどよいゆがみ、困ったゆがみ。それが個性と笑えているぶんには幸せだ。
もう30歳になろうとするその青年のゆがみは、本人のせいというにはかわいそ過ぎる事情がある。それでも生きていかなければならない。

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